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安城家の舞踏会(1947年)
監督:吉村公三郎
脚本:新藤兼人
安城家の舞踏会

チェーホフの『桜の園』をモチーフに新藤兼人が脚本した作品ですが、堅苦しく重厚な文学作品という映画では無く、良い意味で観やすいエンターテインメントな作品です。吉村公三郎監督の代表作としてはもちろんのこと、新藤兼人のシナリオ作家としての出世作品でもあります。

1947年の映画としては非常にモダンな演出と雰囲気。まあ「モダン」と言い方は今では古臭いのかもしれませんが、この映画はこの「モダン」という言葉が良く似合うと思います。このモダンさは冒頭の家族会議での人物の登場シーンから感じ取れるのです。この冒頭のシーンがとても軽妙で、登場の仕方も洒落ていて面白いですし、このシーンの会話のやり取りでそれぞれのキャラクターの性格やポジションが明示されていて、とても分かりやすい映画になっています。それは薄っぺらい映画と言うことでは無く、短いながらも洗練された台詞で、「必要最小限で多くを語る」というシナリオの鑑です。こうした必要最小限で人物を描写していくのですが、その語らない余白を使って人物に厚みが生まれています。特に私が気に入ったのが森雅之演じる長男。この映画は短い作品ながらも登場人物が多く、しかしそれぞれのキャラクターが描けている作品なのですが、作品の中では唯一最後までわかりにくい人物がいます。それがこの長男なのです。しかしこの長男の性格そのものが映画の重要な下敷きになっていて、それがラストで氷解する様が見事です。

安城家の舞踏会

吉村監督が島津保次郎監督の助監督を10年ほど勤めていた時に、徹底的に叩き込まれたのは「風俗」だったそうです。「風俗」ってHな奴じゃないですよ、念のため。映画の中に風俗を描きこむということは、この『安城家の舞踏會』のなかでも行われています。そもそも華族の廃止による風俗の移り変わりを描いた部分がこの映画の大前提なのですから。しかし単に風俗を単にリアルに描くのでは無く、映画向けにデフォルメすることによってスクリーン上でその風俗が生き生きと語られるという図式。

本当に映画のお手本のような作品です。

2012年に100歳を迎え、東京都内で新藤兼人氏の誕生会が開かれ、集まった映画人を前に「これが最後の言葉です。どうもありがとう。さようなら」 と語った言葉は、私の知人で敬愛する故・野村恵一監督が最後に会った時に私に小さな声で語った「これが最後(の映画)かな」という言葉を思い起こさせ感傷的な気持ちにさせる。

偉大な先人たちに敬意を込めて・・・。

安城家の舞踏会

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